迷宮百年の睡魔

たらたらと読んでいた森博嗣の「迷宮百年の睡魔」がようやく終わった。何度睡魔に襲われたことか…(笑)「こんなに何度も寝るのに、森さんの文章の何が好きなんだろう」と考えたら、その単調なところが好きなんだなと気づいた。私にとって突飛な言葉も文章もほとんどなく、水が流れるように心地よい。そういう文章がいまは好みであり気分なんだろうと思う。
どこにでもある、ほとんどの人が理解できる言葉で魅力的な文章を作ることがおそらく一番難しいだろう。アクセントをつけたり、スパイスを加えたり、人が知らないような言葉を使ったりすることは簡単だけれど、簡単におもしろくなるけれど、、、何かつまらないと感じる。何がいけないのだろう? わざとらしいスパイスが鼻につくからいけないのだろうか、難しい言葉は小バカにされている感じがするからいけないのだろうか? いや、いけなくはないはず。それは、人を楽しませようとする心でもあるのだから。単調であっても、なくてもどちらが良いとかではない。
ただ、そういう文章を読んだり、歌を聞いているとはっと「つまらない」と感じてしまうことがある。小手先ばかりが変わっているだけで、大事なことがひとつも入ってきていない感じがしてしまうことがある。そう感じたときは、森さんの文章を一字一字読みながら寝るのです。簡単に10ページぐらいで寝てしまえる、彼の文章はたぶん人間の持つ鼓動とかリズムとかによく添っているのだろうと思う。