比喩ではないなにか

蟲師」を読んでいました。民俗学や宗教学に関連した話はもともと好き、ということもありおもしろかった。好きな人が多いのかしら? 結構、いろんなところで見ますよね。
前から思っていたけれど、今市子さんの「百鬼夜行抄」に感じが似てます。どちらも、よくわからないものへの距離のとり方が近すぎず、遠すぎずと気持ちの良いところです。あ、蟲師のほうはわりと積極的に入っちゃってますね(笑)
ま、主従関係ではまとめられない関係ってことです。

最近、興味があることは物語や文章が比喩ではないナニモノかになるや否やということです。昔から、物語に書いてあることは、何かしらの自分に理解できる感覚の比喩によって理解をしようとしてきましたが、どうもそれでは埋められないものが昔からあります。
理解できないものとして、端に追いやってきていましたが、近頃、「比喩ではないのでは?」と考えたのです。
比喩ではないとしたら、それはただの音であったり、それ自体、単独の意味をもったものとして考えなければ説明がつきません。A=犬、B=ネコではなく、もっと大きく言葉の集積として見なければ面白みがわからないものがある。
そうは考えついたものの、対応する記号がはっきりと見えないそれらを理解する練習を私はずっとおこたってきているので、まったく、やっぱりわからないのが現状です。
もう少し、考えてみたいと思います。