「グーグーだって猫である」

グーグーだって猫である」、大島弓子さんの作品。
大島さんのエッセイ集は初めてだった。

1巻の「言葉使い」(という副題)の話が印象的だった。
「猫を持ってくる」→「猫を連れてくる」
「猫のエサ」→「猫のごはん」
と、共同生活しているヒトとして飼い猫を見るという感覚を持ったという話。
これを見て、私は「ああ、そうだよね、こう言ったほうがいいよね」と素直に思う一方、「ただ学んだ気になっているだけで、私はその心遣いまで学んだわけではないんだよね」と思ったりする。
私は、ギリギリの状況にいる人に「がんばって」という声をかけることがその人を余計苦しませることになることが多いことを、先人の話から学んでいる。だから、がんばっている人に「がんばって」とは意識して言わないようにしている。ただそれは、知識として禁句であることがわかっているだけで、その心情を深く考えているわけじゃない。それと同じことだな、と思った。
そんな自分を貧しいと考える話だった。

人と付き合うことが上手、とは言えなくて、一人とか一人+猫といたほうが気が楽で、というエッセイの中の大島弓子さんを他人と思えない人って多いのでは、と想像する。
なんて言う、私もその一人である。