生まれたときの写真

6月ごろのさっくんの写真を見ていたら、小さくて(体重3分の1だもの)かわいかった。そのころはそのころなりに大変で、手がかかるわなんだらうだうだ言っていた気がするのだけど、写真で見るとかわいいから不思議なもの。おそらく、これも記憶の改ざんだろうと思われ、いま撮っている写真だって1年後にはかわいいのだろうと思います。
子供がかわいくないわけではなく、手放しでかわいいと思えるのは過ぎ去った時代だけなのだと思います。そうすると、だんだん手放しでかわいいと思える写真が増えていくわけで、それは良いことのようにも思います。ただ、子供のことならまだしも、「今となっては良い思い出」という過去が自分の人生に増えていき、残り少ない人生となっていくのはどうも悲しいことのようにも思います。ただ、過去の記憶の時間と自分のこれから先の人生の時間が同じ秤にかけられないような気もします。
って、だんだん子供の話からずれてますね。子供が生まれてから仕向けられたように、時間とかスパンとかについて考えてしまいますさっくんの人生は私よりも長いことでしょう。彼がオヤジになるころには高速道路が無料化されている予定です。そう思ってみると2050年も大した未来ではありませんね。